俺は「死ぬ」ってことへの概念や情緒が
他の人に比べて薄いんだなって
最近気づきました。
そもそも「死ぬ」っていうのは
その人と口や体温や、脳を使ったコミュニケーションが
二度と出来なくなる。それは勿論残念だけど
そんだけのことじゃん?って気持ちがある。
その人の細胞が消える事は無いんだよね。
ゴミ箱みたいな壷に、又生命の循環に持ってかれないまま
詰め込まれた骨のほうがよっぽどかわいそう。
俺は燃やされて灰になるよりは、土に還りたい。
それか深海に行きたい。俺の細胞が、誰も行ったことない場所まで
深く沈んでいけたらもうすっげ、かっこよすぎ!
クジラや生き物の死骸は、その後海に深く深く潜ってって
真っ暗な深海の奥底にたどり着き、そこで
ゆっくりと色んな深海魚とかそういうののご飯になって
ちょっとずつちょっとずつ栄養になって骨になって、海になるんだって。
いいなあ、そんな第3の人生いいなあ!って思う訳。
お葬式というか、死んだら死んだで動けなくなった自分の体を
どこに埋めて欲しい、どこで消化されたい
どこに細胞を吸収されたい、って望むのは自由だと思う。
で、俺は「死」って、結構 あ、そうなんだ、もうしゃべれなくなっちゃったか~…
っていう風に受け止めていて、いなくなってしまうとは思わない。
だからといって霊魂とかは信じてない。
その生き物の細胞が、遂に独り立ちして
様々な生き物にクモの子みたいに散らばってくんだ、って思う。
そうすると、どっちかっつうと感動の涙が出る。
元々俺たちは細胞が寄り添い合って出来上がった集合体だし
それらが解散!撤退!って感じでワーって散らばってって
再び花とか虫とか、野菜とか、野菜食った人とか動物とか
散り散りの生き物になってくんだよね。
それってすげえなー!って思うんだよね。
だから死ぬってなんてチッポケなんだろ、って思ったりしちゃいます。

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50年前のタイムカプセルに埋められていた
一枚の紙。
そこにつづられていた膨大な数の数字達は
歴史の過去、今、そして未来すらも
美しく紐解いてゆく予言の書!
明日、空から何かやってきて
81人が死ぬ…
紐解いた先に起こった出来事は
それだけじゃなく、すべてを巻き込んで
更なる事実へと踏み込んでゆく…!
………て感じ?一応。なんとなく完全に意訳になってるけど。
ニコラスケイジの映画です

男の料理 って名前のつくやつって
大抵が「材料:ひき肉」
とかってつかないんだよね。
ひき肉をまず作る
とかなんだよねこれが。
豚ブロック買ってきて(このときどんな豚ブロックがええのんかウンヌンカンヌン)
それを包丁で叩く(ていうかまず匠の包丁はこうだああだウンヌンカンヌン)
もー!
楽して出来る男の料理って ないんですか!
俺男だけど
こんな料理やだ~!
って訳で俺は「奥様らくちん3分クッキング!秤を使わず適当らくちん」
とかの方が大好きです。
