加糖・喫煙・薄着だいすき
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桜的なハウルの見解。
あの映画は、いろんなテーマがあるらしいけど
俺にとっては「コンプレックス」の映画なんだなって思う。
ソフィのコンプレックス。
このままずっと帽子を売り続けて
こうやってずーっと経ってって
そのままおばあちゃんになっちゃう。
ま、そんな人生が一番私にお似合いだって
そう思ってる。
美しいものや、華やかなもの。
例えば妹や、母親の生き方。
そういう華やかなものは妹や母親とかに任せて
自分は家を継ぎ、生きてゆく。
呪いがあんまり聞かなかったのは
元々ソフィの精神年齢自体がおばあちゃんだったからかも。
とにかく自分を受け入れちゃってて
まあこんな自分だから、おばあちゃんになっても
ちょっと時間が縮まっただけだし、しょうがないわ
的な感情で、魔法すら受け入れちゃうつわもの!
でもある意味で自分を変えることを諦めちゃってる。
ハウルのコンプレックス。
髪を染めたらちょい明るい気分になったり
女の人はお化粧すると、なんだかちょっと外を元気に歩けたり
外付けによって自分の見た目をちょい変えるだけで
自分の心もちょっと自信つくじゃん。
ところが、その自信って、そうやって外付けしとかないと
一緒にくっついてくんなかったりする。
すっぴんじゃ外歩けない!とか
あれがないと、生きてけないとか
これが無いと生きてけないとか。
正に自分自身へのコンプレックスを
自力でどんどん増やしてってしまう、その塊。
「大人」である部分さえも、「外付け」しちゃってる。
外したらとたんに子供になっちゃうっていうか
ほんとは子供。ていうか誰になかにも子供な部分はあるから
それを隠す必要なんて、無いのに。
あの時間のままで止まっていて
であった瞬間に動きかけたけど
ある意味で変わり果ててしまった自分と自分の心にあるか分からない
感情で、黙ってたのかも。
ソフィと間逆で、自分を受け入れられない感じなんかなって
なんとなく思ってる。
ありのままの自分って大切だけど
愛情って、なんていうか
ありのままの自分すら変えちゃうっつーか
新しい自分?あーむつかしいんだけどー
いんだよね、クサい台詞を思いのままに言ったってさ。
それは自分の中で思った気持ちだし
ちょっとくらいカッコつけて言ったっていんだよ。
それに、なんつーか好きな人の色んな部分みたいし。
ここ気に入ってないんだ・・とか自信ないんだ・・って部分も
有って当然で、それも当然見たい。
当然一緒に暮らしてく上でそういう部分は見えてくるだろうし
それ以上に、好きになったんだから、ヤな部分なんて
全然OK。こいつここが、駄目だけど
こういういい部分が沢山あるからなあ…って
ソフィは他人のそんな部分すらも
きっとひょいって受け入れちゃうんだろうな。
そんな映画かなって、思いました。